セックスの事ばっかり書いてるので、すっかり大人の性教育がメインかのようなイメージを持たれているちゃーりーですが。

実は、本業?というか、最も得意なのは親子でコミュニケーションを深める性教育なんです。

6月には金沢、東京、北海道とご招致頂いております。

【お母さんから子どもに伝える性教育】
6/6午前@金沢

 

【親子でガハハ性共育】
6/12午前@東京

 

【親子コミュニケーション性教育講座】
6/26午前@北海道札幌市
 
 
 

性愛のお話し会に参加したことのある方は感じられるところでしょうが、

性の話を真ん中に置くと、嘘がつけないというか、本音で向き合うしかなくなるあの清々しさ。

それは、親子間でも同じです。

性の話ができれば、親子のコミュニケーションの密度は格段に変わります。

思春期以降の親子の会話をギスギスさせ疎遠になる原因は、

確信をつかれることを恐れて気まずい空気を出している親の思考です。

自分を超えて行こうとする子どもの前で、いつまでもいい格好しいでいようとする、柔軟性に欠けた親の態度です。

性の話に触れることは、生きる確信に触れること。

そこを逃げず誤魔化さず向き合ってくれる親の姿が、

どれだけ子どもにとって、人間そのものへの信頼や敬意につながるでしょう?

私達はそんな事を教えてもらわなかったんだもん。

教え方が分からなくて戸惑うのは当然のこと。

だから学びにきてください。

そんな難しい事じゃないんだよ。

とっても楽しい親子のコミュニケーションツールの一つであることが分かります。

聞いたその日からすぐに実践したくなるような、具体的なお話満載でお届けしています。

どうぞ、性愛を家庭の真ん中に置いて明るい空気をはなちましょう。

 

以下は、子宮委員長はるちゃんと私の師匠田中みっちのお話し会、「極女」にてお配りしたミニコラムです。

私のやっている性教育の雰囲気がちょっと伝わるかな。

 

 

性愛のある風景

プロローグ

それは私が第二子を計画していた頃のお話し。
絶賛排卵日のその夜、暗がりの中で息をひそめ営む私たち。
当時、三歳半ばの長女が起きてきて、私と夫の間に挟まってくる。
ぎゅっと抱きしめ再び眠りに落ちるのを待ち、横に戻すこと三回。
ついに心も体も中折れし、営みは中断となる。
これが事の始まりであった。

アクション1

それは娘が第三子の計画を目論んでいたころ。
3歳前のやんちゃな弟の存在に辟易していた小学3年生女子は、
七夕の短冊に、
「うちに赤ちゃんをください。
女の子がいいです。
だめなら男でもいいです。」
という、強引な願いをかけていた。
その日、夫が帰宅した時に、ちょうど風呂上がりで裸だった私に、
娘が手を引き夫の元へ導いた。
「ねぇ、赤ちゃんができるように、ぎゅーっとして、ぎゅーっと。」
一瞬の戸惑いのあと、性愛を語るモノとしての使命感が沸き上がる。
ピンチハチャンスダロ!
冷蔵庫をあけて麦茶をとろうとしている夫の後ろ姿に抱きついて、
「ほーれほれほれ、ほーれほれほれ、
えーんか?えーんか?体は正直やのぅ。」
と、片足からめなら、夫のおっぱい揉みしだきながら言った。
「ほら、これで赤ちゃんできたかもね。」
ウインクしながら娘に語り掛けると、ため息をつきながら娘にこう言われた。
「はぁ、それじゃだめなんだよ。
おちんちんがひっついてないから、それじゃ赤ちゃんできないでしょ?」
何という正論。
「ごめんね、今度ちゃんとひっつけとくから、それで許してくれる?」
「もう、頼むよ~。」
ため息まじりに娘は去っていった。

 

アクション2

それは長女の念願かなって第三子を妊娠していた頃。
家族で囲む夕飯の席で娘が唐突にこう言った。
「あれ?家に赤ちゃんが来たってことは、
赤ちゃん作るときのあれはやったの?あれ。」
一瞬戸惑いながらも愛おしく感じ、笑いながら答えた。
「やったよー。
横でしてたんだけど、寝てたから気づかなかったのかな?」
「えー、ずるい。私も参加したかったのに。
弟の時は一緒にやったっじゃーん。」
覚えていたのか、恐るべし子どもの記憶力。
「そっか、そっか、それは残念だったね。」
和やかな、シモの話のある食事風景であった。

エピローグ

それは娘が小学校6年生、まさに思春期入りの頃。
ふと疑問に思った。
こんなに性をオープンに伝えてきたが、
まさに思春期の今、娘はどう感じているのだろうか?
その思いを堪えきれない私は、
公文のお迎えで娘を車にピックアップした瞬間に唐突に聞いた。
「ねぇ、セックスでペニスをヴァギナに入れるって、どう思う?」
「はぁ???いや、それ以上でもそれ以下でもないやろ。
他に何てい言って欲しいん?何も見つからないんですけど。」
いや、全くもって正論である。
彼女の潔い姿が物語る。
性に対する罪悪感や羞恥心は、後から身についてしまうもののほかない。

モノローグ

性愛を学んだ者ならば、もっと早く知りたかったと一度は思うはず。
いや、いつからでも遅くはないのだが。
しかし、次世代には、
性愛が生まれたときからあたりまえにある風景を伝えていきたい。
そう願ってやまない。